謎の黒い美術商『林忠正』NHK大追跡!浮世絵とゴッホにパリ万博!?

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管理人のキャメルです。

2025年4月28日NHKで放送の【大追跡グローバルヒストリー】にて、謎の美術商として林忠正(はやしただまさ)が紹介されます。

林忠正は、明治時代に活躍した日本の美術商であり、“黒い美術商”とも噂され国賊扱いをされていたこともありました。

そんな、林忠正はフランスの有名な画家である『エドゥアール・マネ』と日本人で唯一親しんだ人物でもあります。

林忠正は、いったいなぜフランスへ渡り美術商になったのか、気になったので調べてまとめてみました。

さらにゴッホとの関係もあったのではないか?

とも噂されていることから、その真相を探っていきたいと思います。

この記事でわかること
  • 謎の黒い美術商、林忠正の経歴wiki
  • 林忠正とゴッホやマネなど印象派の画家との交流について

林忠正と言えば、パリ万博を連想する方もいると思います。

フランスに浮世絵ブームとジャポニズム旋風を巻き起こした人物である林忠正は、いったいどんな人物なのでしょうか?

その経歴から、知られざる素顔に迫っていきたいと思います。

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それではみなさん
一緒に確認していきましょう!

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国賊!?謎の黒い美術商『林忠正』の経歴とプロフィール

林忠正の経歴やプロフィールについて紹介していきます。

林忠正のプロフィール

名前 林 忠正(はやしただまさ)
生誕 1853年12月7日
出身地 越中国高岡(現在:富山県高岡市)
死没 1906年4月10日
職業 美術商
受賞歴
(フランス政府)
  • 教育文化功労章2級(1894年)
  • 教育文化功労章1級(1900年)
  • レジオン・ドヌール3等章(1900年)
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林忠正は、嘉永(かえい)6年11月7日に現在の富山県高岡市で生まれました。

1878年(明治11年)にフランスへ渡り、その後はパリに本拠地を置きながら美術商として活躍していました。

ちなみに、その頃の日本では現在の1万円札の肖像として使用されている渋沢栄一さんなどが活躍されていました。

東京大学設立や上野動物園が開園したのも、ちょうどこの頃です。

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林忠正の経歴

■ 生年・出身

  • 1853年12月7日(嘉永6年)
  • 越中国高岡(現在の富山県高岡市)生まれ

■ 幕末・明治初期の青年期

  • 明治維新後、東京に出てフランス語を学ぶ。
  • 外国との交流が活発になる時代背景の中で、語学力を武器に活動を始める。

■ パリ万国博覧会と渡仏

  • 1878年(明治11年)、パリ万国博覧会の日本政府代表団に通訳として参加。
  • これをきっかけにパリに留まり、日本美術品の紹介・販売を開始。

■ 美術商としての活動

  • パリで日本の美術品(浮世絵、陶磁器、漆器、刀剣など)を取り扱う美術商として独立。
  • 当時のヨーロッパでは、日本文化への関心が高まっており(ジャポニスム)、忠正はその流行を大きく後押し。

  • ゴッホ、モネ、ドガ、マネら印象派の画家たちにも、日本美術の魅力を伝える重要な役割を果たす。

■ 国際的評価

  • 日本美術の普及に貢献した功績により、フランス政府からレジオン・ドヌール勲章を授与される。

■ 晩年と死去

  • 晩年もパリで活動を続け、ヨーロッパにおける日本美術の地位向上に尽力。
  • 1906年4月10日、パリにて死去(享年52歳)。

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まとめ

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